26歳で私は転勤族×ママになった…。
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今の私になるまでのストーリー
No.1になりたい。
昔の私はこの想いがとても強い人間でした。
前職を退職するまで、自分のやりたいことはなく、誰かが決めたことでNo.1になることにこだわり、ずっと優等生であり続けることにエネルギーを費やしていました。
でも入社3年目、26歳で転勤族の妻&ママとなったことをきっかけに前職を退職した途端、私がやることを決めてくれる人もいなければ、評価し注目してくれる人もいなくなりました。
そんな私がNo.1になることから解放され、自分のやりたいことを大切に生きるようになるまでのストーリーをお伝えしたいと思います。
夢がなく他人軸で生き始めた幼少期

私は、保育園の卒園式の文集の「おおきくなったら(いわゆる将来の夢)」欄に「おねえちゃん」と書いていました。
実はこの時既に妹が産まれており、おねえちゃんになる夢は叶っていました。(強いていうなら綺麗なお姉さんになりたいと思っていたぐらいで…。)

周りの子は「仮面ライダー」や「セーラームーン」「ケーキ屋さん」などの夢を書いている中、私はこれといった夢がなく妙に現実的な子でした。
さらに衝撃的なのが「すきなたべもの:いちごみるく」。
実はいちごミルクなんて飲んだことなかったし、どちらかというと今でもあまり好きではありません。
でも「いちごミルクが好きって書いたら、男の子から可愛いって思われそう」と想い、嘘を書きました。
今思い返すと、あの頃から私は周りの人からの自分の見られ方を気にしていたのかもしれません。
No.1であり続けた学生時代
小学生の頃はずっと成績優秀で通知表はオール◎。
毎年学級委員or児童会に選ばれ、全校生徒からの注目を浴びていました。
中学生の頃も常に学年1位&成績表はオール5。
小学校から引き続き中学校でも毎年学級委員or生徒会を務め、誰もが認める優等生でした。
学校や地元の期待を胸に、生まれ育った小豆島を出て県内でNo.2の高校に進学した私。
周りからはNo.1の学校に行けると言われましたが、どうしても1位になりたいという想いから、あえてNo.2の学校に行きました。
自分がNo.1ではなくなるのが不安だったんだと思います。
高校に入学すると「島人」とイジられ、周りから格下に見られているような気がしていました。
地頭が悪く、理解力に乏しかったため、誰よりも勉強したり、先生に質問したりして努力を積み重ねた結果、高校入学初めてのテストで学年1位に。
「なんでこいつが?」と周りがザワついたのを覚えています。
私は一気に高校の有名人になりました。
そして高校一年生の試験はずっと学年1位をキープ。
「私は島外に出ても通用するんだ!」という私にとって大きな自信になりました。
初めてやりたいことに気づいた浪人期

高校2年生から私の学力はだんだん通用しなくなっていきました。
当時入部していたダンス部でなかなか結果が実らず、ずっとオーディションで落選。
悔しくて家に帰ってからも練習し続けていたら、自然と勉強時間がなくなっていき、高校2年生の頃から徐々に成績が落ち始めました。
高校1年生の時、先生から託された「有名国立大学合格」に対する大きな期待は、どんどん小さくなっていくのをひしひしと感じる日々。
諦めたくない。なんとか良い大学に行って良い会社に就職したい。
そう思い勉強し続けたものの、結果は全落ち。浪人が決定しました。
人生に絶望。お先が真っ暗に。初めて死がよぎりました。
でも両親の支えもあり、なんとか前向きな気持ちを取り戻した私。
浪人生活を前に改めて志望校や学部を決めるために、初めて将来の夢について真剣に考えることに。
将来を考える際に活用したのが、村上龍さんの13歳のハローワークという本。
私が中学1年生の頃に流行った中高生向けの業界・職業辞典のようなものでした。
本の中で唯一興味のあった業界や職種が「ファッション業界のバイヤー/MD職」。
実は両親共にアパレル業界出身のため、元々ファッションは好きだった私。
また高校のダンス部では衣装担当を任せられることが多く、限られた予算の中で曲の世界観に合う衣装を調べて見つけてくることが得意でした。
ファッションバイヤー・MDになるために、専門学校への進学も考えましたが、せっかくなら大学に行って経営学を学んだ方が良いという両親の勧めから、経営学&マーケティングを学べる大学を志望校にしました。
私が浪人したという噂が島中で広まることを恐れ、島を出て、大阪にある母の実家に居候しながら予備校に通うことを決意。
1日も休まず勉強し続けた結果、第一志望の大学にはご縁がなかったものの、何とか希望する国立大学に合格しました。
夢に向かってチャレンジしない大学時代
念願の大学入学。一生懸命勉強して、夢のキャンパスライフを送るはずでしたが、現実は違いました。

学生時代からの「国立大学に入学する」という目標を達成し、やっと勉強から逃れられる解放感から、入学後すぐにできた彼氏と大学に行かず遊び呆け、バイトに明け暮れる日々。
大学1年生の冬、何か変えたいと思い、元々興味のあったファッション業界を知るために、本を買って勉強したり、ダブルスクールを検討したり、海外インターンを探したりしたものの、結果的には具体的な行動に繋がらず…。
本当にやりたいか分からないから…と自己投資や具体的な行動に移すことを躊躇してしまったのです。
そのままズルズルと大学生活を過ごしてしまい、いよいよ就職活動。
どれだけ自己分析しても、いろんな説明会に行ってもピンとこない。特にやりたいことがない。
自分にとって“良い会社”の定義が分かりませんでした。
そんな私は100社以上エントリーして、縁あって前職の総合人材サービス会社に内定。
ただ内定後も好きだったファッションへの想いが捨てきれず、ギリギリまで入社するかどうか迷っていました。
結局、人材業界で働けば色々な会社や業界を見て、自分の視野が広がり、やりたいことが見つかるかな?という軽い気持ちでそのまま入社しました。
やりたいことが分からずキャリア迷子に
適性を見抜かれたのか、入社後同じグループ内のファッション業界専門の人材紹介会社に配属され、前から好きだったファッション業界の採用支援に携わり始めた私。
入社1年目で、同期145名中4位というトップクラスの成績をとりました。
ただ2年目以降、入社後トラブルが多く、予算未達も続き、自分の仕事の意義が分からなくなりました。
転職も考えましたが、何がやりたいのか分からず、結局現職維持。
そうしているうちに入社3年目、26歳の時、当時香川県に住んでいた転勤族の主人との結婚と、第一子妊娠を機に退職することに。
退職後、転勤族×ママとなってからは、今後のキャリアや働き方についてひたすら悩み続ける日々を送りました。

前職はストレスフルな営業職。転勤や子育てと両立しながら続けられるような仕事ではない。
少し興味のある資格を見つけ、参考書を買ってはみるものの、実際には1ページも開かず。
パソコンがあればどこでも働けそうなIT系のスキルを身につけ、手に職を!と思ってはみるものの、金銭面&気持ちの問題で、前に踏み出せない。
地方求人は選択肢が少なく、やりたいことが見つからない。
やりたいことが何なのか自分を見つめ直そうと思い、セミナーに参加するもイマイチピンとこない。
最終的に前職と同業の会社で内定したものの、給料は1社目の月給の半分&土曜出勤あり…結局家族との時間を優先し、内定辞退。
「私のやりたいことって一体何?私は社会から必要とされてないのかも?」と今後の人生やキャリアを諦めかけていました。
フリーランスになってからの変化
夫の東京転勤が決定し、再び就職活動を始めたものの、結局やりたいことが分からないため、就職活動は上手くいきませんでした。
そんな時、偶然にも前職の先輩から、提携会社がフリーランスとして働ける人を探しているとの連絡が。
「フリーランスってなんか不安だし、私になんてできない…。」
そう思いましたが、他に特に働く選択肢がなかったため、とりあえずやってみよう!と思い、人材業界の会社2社と業務委託契約を結び、フリーランスとして仕事を始めました。
1年頑張ってみたものの、ルーティーン作業ばかりで、成長実感がまったく得られず…。
さらに、コロナウイルスの影響で報酬はどんどん減っていく一方。
「新しいことに挑戦しよう!」そう想い、始めたのが実はこのブログ。
でも、何もかもが手探り状態。頑張って書いても、このままじゃ誰にも見てもらえない…。
「Webマーケティングやライティング、デザインなどの幅広い知識やスキルを身につけたい!」
そう思い、Webクリエイティブスクール SHElikesに入会しました。
最初はWebマーケティングやライティングを重点的に学ぼう!と思い、入会したものの、Webデザインについて勉強し始めると、これが楽しくてしょうがない!
当時生後6ヶ月の子供の育児の合間に、毎日必死で勉強し、勉強開始から1ヶ月で下記のようなサイトのデザインからコーディングまでできるように。
#シーライクス の卒業制作やっと完成!
多くの人に母が作る子供服のことを知ってもらいたいと思い、ブランドサイトを作りました。
こだわったポイントは、
・一からブランドコンセプトから考え、ブランドの世界観が伝わるようなデザイン
・どんなデバイスでも崩れないレスポンシブ
です!#SHE卒 pic.twitter.com/Ptw3IyCm9q— 山口由香子(きのこ)│転勤族キャリアコーチ (@tenmamkinoko) July 31, 2020
そして学び始めてから半年後には、Webデザインのお仕事だけで計50万円稼げるようになりました。


↑その当時作った私のポートフォリオはコチラ。
海外転勤をきっかけに自分のやりたいことに気づく
Webデザイナーとして収入を得られるようにはなったものの、他のWebデザイナーと比べて私の強みは何なのか、果たして私は本当にWebデザイナーになりたいのか、ずっと分からず、モヤモヤしていました。
ちょうどそのタイミングで主人の転勤で海外に駐在することに。
コロナで2週間のホテル隔離生活を強いられたため、その期間中に、「ストレングスファイダー」で自分の強みを診断したり、「世界一やさしいやりたいことの見つけ方」という自己理解本を使って自分のやりたいことは何なのかを改めて見つめ直しました。
自分と徹底的に向き合った結果分かった、私のやりたいことは、
「自分にしかない価値があるのに、社会で埋もれてしまっている人々の価値発揮をサポートしたい」
ということでした。
私のやりたいことを実現するための手段として選んだのが、SHElikesで受けて初めて知ったコーチング。

パーソナル・コーチングサービスmentoのプロコーチ養成スクールで勉強し、コーチとして活動しています。
またコーチング以外のアプローチでも人の価値発揮をサポートできないか?と考え、転勤族の女性のためのキャリアコミュニティ「kinocom」を立ち上げたり、コーチ仲間と共にイベントを企画したりしています。


行動しながら考えることが本当にやりたいことを見つける第一歩
昔の私はいつも誰かが決めたNo.1になることばかり考えていました。
でも社会と切り離された瞬間、私はNo.1でいられなくなりました。
今の私は「人が本来持つ価値や可能性を信じ、夢を共に叶え続ける」というやりたいことを見つけ、Only1のキャリアを歩んでいます。
本当にやりたいことを見つけるためには、少しでもやりたいと思ったことは、まずはやってみて、違うなと思ったら立ち止まって考えて、また新しい道へ踏み出すことが大切だと思っています。
たとえ実際にやってみて違うなって思ったとしても、これまでの行動は絶対に無駄にはならないし、むしろ行動し続けることで、やりたいことは変わり続けると思います。
私はそんな変わり続ける生き方を目指しているし、人々が可能性に挑戦し、変化し続けられるようサポートしていきたいと強く願っています。
とはいえ、なかなか行動できない…。一人で考えても分からない…。という方は、コーチングを通じて一緒に夢への第一歩を踏み出してみませんか?
コーチングも体験いただける、無料カウンセリングをご用意しておりますので、コーチングやコーチの私との相性をお試しいただければと思います。

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